世界の最新医学論文から、現役医師の気になるトピックをお届けします。今回は健康経営・社員の生産性向上にも欠かせない「睡眠」についてです。
睡眠負債が危ない!
先日、NHKにて「睡眠負債が危ない」なる番組が放送されました。
番組に出演されていた睡眠のエキスパート西野精治先生の著作「スタンフォード式 最高の睡眠」によると、”眠りの研究者は、睡眠が足りていない状態を、「睡眠不足」ではなく「睡眠負債」という言葉を使って表現”するとのこと。
「睡眠負債」という単語は、私も数年前から使い始めました。単なる「寝不足」「睡眠不足」という表現以上に、「睡眠負債」にはもっと深刻な問題が含まれています。借金には、利子がつきます。返済しないと膨れ上がります。つまり「返さなければいけないもの」、「返さないと大変なことになるもの」というメッセージがこもっているのです。
死亡リスクと睡眠時間の関係
睡眠が生物にとって重要であることは、誰しも実感として納得されているかと思いますが、医療界でも、以前から大変注目・研究されている分野のひとつです。
「日本睡眠学会」など睡眠関連の学会は多数ありますし、私が勤めている一見睡眠と関係なさそうな循環器内科(心臓の内科)の定期学会でも、必ず睡眠に関するセッションがあります。以前勤めていた病院の朝の勉強会でも、「死亡リスクと睡眠時間の関係」(原題:Nighttime sleep duration, 24-hour sleep duration and risk of all-cause mortality among adults: a meta-analysis of prospective cohort studies.)という論文を同僚が取り上げていたことが印象に残っています。
今回はこの論文をもとに、睡眠負債を溜め込むとどうなってしまうのか、解説してみたいと思います。
この論文は35の研究について解析しているため、対象人数は903,720人とかなり大規模で、信頼性が高いものです。対象になった人達の年齢は40〜83歳、研究の期間は2.8年から25年間でした。
結果は、下記の図のように、
- 死亡リスクが一番低い睡眠時間は7時間
- それ以下でも、それ以上でも、死亡リスクは上昇する
ということでした。
縦軸:死亡リスク 横軸:1日の夜の睡眠時間
(Sci. Rep. 6, 21480; doi: 10.1038/srep21480 (2016).)
この結果は、死亡リスクに関係しそうな病気(癌や心臓病)の影響を統計学的に処理した上でも変わることがなく、論文の著者は、「睡眠が純粋に死亡リスクと関係している可能性がある」と結論づけています。
”死亡リスク”だとざっくりしていてイメージが湧きにくいかもしれませんが、具体的に睡眠と関連がある病気としては、
- 心筋梗塞( 2016;134:00-00.他)
- 脳卒中(同上、Sleep Medicine , Volume 32 , 66 – 74他)
- 高血圧(同上、Archives of Internal Medicine 2009; 169(11): 1055-1061他)
- 肥満(Sleep 2005;Vol.28:1289-1296.他)
- 認知症、アルツハイマー病(Sleep 2014;37(7):1171-1178.他)
- 不安状態(Sleep Medicine , Volume 24 , 109 – 118)
- 乳癌(Br J Cancer. 2008 Nov 4;99(9):1502-5.)
- 2型糖尿病(Diabetes 2014 Jun; 63(6): 1860-1869., Diabetologia 59:719, 2016他)
- 風邪(Sleep (2015) 38 (9): 1353-1359.)
などが挙げられ、睡眠の影響は多岐にわたることが見てとれます。
気づかぬうちに増えていく「仕事のミス」
加えて、もし病気にならなかったとしても、仕事上でのミスは当然増えます。
「そりゃ眠ければミスは増えるよね」と思うかもしれませんが、我々が注意しなければならないのは、
「自覚的に眠くなくても、ミスが増える」
からなのです。
根拠として、睡眠と仕事のミスに関する論文をご紹介します。
「睡眠時間制限による神経行動機能および睡眠生理学への影響(原題意訳)」というものです。
この研究では、48人の健康な成人(21-38歳)を対象に、ランダムに4つの群(睡眠時間がそれぞれ4時間、6時間、8時間、そしてなんと丸3日間徹夜!)に分け、14日間観察。起床中2時間ごとに「神経行動機能」、「自覚的な眠気」について分析しました。
下記が結果です。
(Sleep 2003;2:117-126.)
■ ︎3日間徹夜群、○ 1日4時間睡眠群、□ 1日6時間睡眠群、◇ 1日8時間睡眠群
縦軸が「神経行動機能」の一つである「注意力」についての項目、PVT(psychomotor vigilance task)。これは、数字がスクリーンに現れたらすぐにボタンを押して反応時間を測定する検査によって評価しており、数値が高いほど注意力が低下していることを示します。横軸は、検査開始からの日数です(計14日間の観察)。
6時間睡眠群(□)は、8時間睡眠群(◇)と比較し、日数を経るごとに注意力が低下しています。4時間睡眠群(○)は、8時間睡眠群(◇)とは勿論、6時間睡眠群(□)と比較しても、さらに注意力が低下しています。まして3日間徹夜群(■)では、その差は歴然です。
加えて、4時間睡眠を14日間続けたときの注意力低下(○)を見ると、3日間徹夜したとき(■)と同等。
やはり「睡眠不足」は返済しないと溜まってしまう、「睡眠負債」なのです。
6時間睡眠に対しては、それほど短時間であるという認識がなく、驚いた方も多いと思います。また4時間睡眠、或いは徹夜も、仕事が忙しいときなど、やむを得ないという方もいると思います。しかしそのような睡眠不足の蓄積は、実は注意力を低下させ、仕事のパフォーマンスを落とす可能性が高いことが、この論文で明確にされたのです。
次の図を見て下さい。同じ論文から引用したデータですが、さらに驚くべき結果が出ています。
(Sleep 2003;2:117-126.)
縦軸が「自覚的な眠気」。これはSSS(Stanford Sleepiness Scale)という指標を用いた眠気のスコア。横軸は1つ目の図と同様に検査開始からの日数です。
3日間徹夜群(■)は自覚的な眠気も急激に上昇しますが、6時間睡眠群(□)、4時間睡眠群(○)においては、眠気は増えてはいくものの、曲線は緩やかです。
2つの図を見比べてみると、例えば「注意力低下」は、4時間睡眠群(○)の14日目の状態と、3日間徹夜群(■)の3日目の状態が同等だったのに対し、「自覚的な眠気」のそれらは、大きく隔たりがあります。
つまりこの2つの図からは、
- 自覚的な眠気が乏しくても、注意力は低下する
- 4時間睡眠と、6時間睡眠は、眠気の程度は変わらない(そして慢性的になれば眠気の増加率は低くなる)にも関わらず、注意力低下には差がある
ということが考察し得ます。
睡眠負債は私達の気付かないところで注意力低下を来し、自分では眠くないと思っているときにもミスを引き起こす可能性があるのです。
ほろ酔いの医師に手術されたいですか?
実際に、睡眠時間の少ない職業のひとつである医師において、睡眠と仕事のミスの関係を調べた論文が多くあります。どれもが、睡眠負債によるミスの増加を指摘し、逆に睡眠時間を増やすことでの注意力低下の改善があることを示しています。
- 24時間以上のシフトで頻繁に勤務する研修医は、短時間シフトで勤務する研修医と比較し、多くの重大な医療過誤を起した(N Engl J Med. 2004 Oct 28;351(18):1838-48.)
- 集中治療室の研修医の長時間勤務シフトを減らすと、睡眠時間が増加し、夜勤時の注意力低下が改善した(N Engl J Med. 2004 Oct 28;351(18):1829-37.)
- 救急科の研修医において、睡眠が1日6時間より少ない群は、1日6時間以上睡眠をとっている群と比較し、注意力低下によるトラブルが5倍多く発生していた。また、睡眠不足の医師の意識レベルは、ビール2本飲酒後の意識レベルと同等だった(JAMA. 2005;294:1025-1033.)
などなど…挙げればきりがありません。しかも、上記が掲載されているのはどれも一流の学術雑誌で、信頼度が高いものです。
当直明けの、ほろ酔いと同等の意識の医師に、手術をされたいですか?
また、バスの運転手が前日に一睡もせず(もしくはそれに近い状態で)仕事をしていたとして、あなたはその運転手のバスに乗りたいでしょうか?
「No.」の人がほとんどなはずです。
直接的に命を扱う職業はもとより、お金や情報、人的資源など、仕事においてあらゆる大切なものを扱うことになる全ての社会人にとって、睡眠は重要なものです。
全ての働く人々が、十分な睡眠をとる社会的義務があるのです。
そして、それはその人自身にも健康と生産性の向上をもたらします。
まとめ−睡眠負債は仕事のためにも返済すべき
まとめると、
- 1日7時間睡眠が一番死亡リスクが低い
- 睡眠負債は心血管疾患、脳卒中、認知症、乳癌、糖尿病、高血圧、肥満、不安状態…など様々な病気と関連
- 自覚的な眠気がなくても、仕事のパフォーマンスは低下する
- 睡眠負債の返済によって、仕事のパフォーマンスが改善する
ということです。
睡眠は、心身の大切な回復時間です。
睡眠負債なく過ごせば、仕事でもよいパフォーマンスを発揮でき、医学的に有意に(統計学的証拠をもって)健康的でもある。素晴らしいですね。
睡眠のより良い方法や、その他の医学的知見に続報があれば、再度お伝えしたいと思います。
記事を読んでいただいて、ありがとうございました。是非今日は7時間、寝て下さいね。
協力:布施淳(国立病院機構東京医療センター 循環器内科勤務、集中治療室副室長併任)
慶應義塾大学病院 循環器内科勤務。東京女子医科大学卒、循環器内科5年目。日本医師会認定産業医、ACLS(アメリカ心臓協会二次救命処置)インストラクター、JMECC(日本内科学会認定内科救急・ICLS講習会)インストラクター。高校時代にアメリカ、大学時代にベルギーに短期留学。趣味は登山、弓道(三段)、芸術鑑賞、海外旅行。