ウェザーマップ所属の気象予報士が、ビジネスや生活に役立つ気象情報をお届けします。今回は、東京造形大学特任教授として「天気からみる名画」の授業も受け持つ長谷部愛氏が担当。「フェルメールやレンブラントの光の表現」や「ムンクの叫びの背景」について、天気×アートを切り口に解説します。
iPhoneが登場して、ボタンがなくても操作できるようになったことは大きな革命でした。スティーブ・ジョブズは、それまでの携帯端末では必須だった無数のボタンを取り払うことで、唯一無二の美しく機能的な製品を生み出したのです。
アートの世界も、今までの概念を崩すような革命を繰り返して、名画が生まれています。既存のものを打ち壊して、独自の視点で新しいものを生み出すことで名作が生まれるという点で、ビジネスとアートは同じ部分を持っています。こうした視点を学ぼうと、近年では世界中のビジネスリーダーがアートに注目しているそうです。
では、アートの革命とはどんなものがあるのでしょうか。天気で名画を切ると、既存のものを打ち破る芸術家たち独自の視点が浮かび上がってきます。
何気ないものを独自の視点で描いたフェルメール
『牛乳を注ぐ女』『真珠の耳飾りの少女』などで有名なヨハネス・フェルメール。
『牛乳を注ぐ女』は実際に展示会で見たのですが、あの小さな絵からあふれ出すパワーには圧倒されます。サイズはA3を一回り小さくしたほどしかないのですが、女性の手元やエプロンの青が目に飛び込んでくるのと同時に、その場面をのぞき見しているかのように、牛乳が流れる前後数秒の様子が頭の中に広がります。彼の描く”フェルメールブルー”は、唯一無二の存在感を放っていました。
【フェルメールの革新的な所】
・それまでの時代は描かれてこなかった、一見つまらなそうな日常を垣間見るような目線で切り取ったこと
・シーンをあたかも動画のような数秒間の動きにして切り取ったこと
・一般市民の部屋にも飾れる小さな作品にしたこと
など様々あります。
フェルメールが日本人に人気な理由とは
ただ、フェルメールをフェルメールたらしめるのは、光の効果です。
「光の魔術師」という異名をもつフェルメールは、実に写実的に光を描いています。
彼の絵の舞台となることの多いオランダ・デルフトは、日本に比べると高緯度に位置していて、北海道のさらに北、サハリン(樺太)北部と同じくらいの緯度です。高緯度になるほど、太陽の光は斜めに差し込むため、日の力は弱くなります。さらに厚い雲に覆われることも多く、弱い光が降り注ぐことが多いのです。
フェルメールは、窓際に画の中心、主人公や動作の主体を持ってくることが多くあります。そうすることで、写実的でありながらも、窓際から入り込む淡い光を巧みに使って、画の主人公を浮かび上がらせることに面白みを発見しています。
世界的に愛され、日本でもとても人気の高いフェルメール。
私たちは冬から春へと光が強まってくるときに喜びを感じたりしますが、それは世界共通です。特に、日本やヨーロッパのように四季がはっきりしている地域や、高緯度で冬が長い場所では、冬が明けるときにことさら日差しのありがたみを感じます。
日本やオランダなど、光に敏感な地域の人たちの感性に、フェルメールの繊細な光の表現は見事にマッチしたのではないでしょうか。
雲から光が筋状に降り注ぐ現象=レンブラント光線
一方で光の使い方が対極にあるのが、同じオランダの画家、レンブラントです。光をスポットライトのように使って作品を仕上げています。
この表現方法から、「薄明光線」という雲から光が筋状に降り注ぐ現象を、別名「レンブラント光線」ともいうようになりました。日本やオランダでも雲が適度に出たときによく見られる光景です。気象現象に画家の名前がついているという稀有な例です。
いずれにしても、2人に共通するのは光の表現に対する強いこだわりです。高緯度の日没が早く、光が弱いオランダだからこそ生まれた表現でしょう。ただ、偉大な2人の画家にかかると、光の表現はこんなにも違ったアプローチになります。
ムンクの叫びの背景が赤いのはなぜ?
他にも気象に大きな影響を受けたと思われる作品は数多くあります。
エドヴァルド・ムンク作の『叫び』は、「夕暮れに道を歩いていたとき、自然をつらぬく叫びを聞いた」というムンク自身の幻覚体験から描かれています。
背景の赤が不気味さを引き立てていますね。これは夕焼けの表現だと言われています。たしかに、夕日も雨が降った後などは燃えるような赤になることがあります。
しかし、ただの夕焼けではない、いくつかの仮説が存在します。一つは、火山説です。火山灰のような粒子に覆われているときには、空がひときわ赤黒っぽく色づくことがあります。
「叫び」が描かれる10年ほど前、インドネシアで「クラカトアの大噴火」という世界規模の噴火がありました。空高く上がった火山灰は上空の風の流れにのって、ノルウェーはもちろん世界中に拡散し、赤みを増した夕焼けになったといわれており、ムンクも目にしていたということが推測されます。
さらに、ムンクの生まれ故郷、ノルウェーならではの気象現象も考えられます。「真珠母雲」という赤い雲が出ていたという説です。通常の雲ができる対流圏ではなく、成層圏でできる特殊な雲です。ノルウェーなどの高緯度地域で、気温が極めて低い時など、いくつかの条件が重なると稀にみることができます。真珠母貝の内側のような赤っぽい虹色が見えるのが特徴です。
いずれにしても、ムンクも空の変化を作品の中に取り入れています。
誰も気にしない空の変化や光の効果に気付き、それに自分の表現や切り口を加えることで、唯一無二の表現が生まれています。
天気とアートの奥深い関係
今回はほんの一例でしたが、他の名画や日本画、浮世絵など、天気とアートの世界にはまだまだ様々な発想がちりばめられています。
何気なく誰もが気軽に眺められる空や天気ですが、それをつぶさに観察する目をもち、独自の表現に落とし込んでいる芸術家、名画に、人並み外れた想像力を垣間見るのです。
一流の芸術家たちと同じ視点を持つことは難しいかもしれませんが、何気なく眺めた空やアートに、日々の生活やビジネスに応用できる発想の種が落ちているかもしれません。
<参考文献>