「デキる人は、ヨガしてる。」(著:石垣英俊、及川彩)より
道徳的な日常生活の「実修」に専念する「カルマ・ヨーガ」は、ポーズや呼吸法、瞑想をしなくても行うことができる生き方のヨガといえます。
デキる人たちと接していると、こういった経典に基づくヨガの哲学を学んだかのように、実に毎日を自然体で過ごしているように見えます。
ここでは、ヨガ哲学が教えてくれる智慧と、「デキる人」たちの思考や習慣を、私たちなりの視点でヨガ的な習慣としてまとめました。
チャレンジし続ける
以前ご紹介した『ヨーガ・スートラ』の八支則にもタパス(鍛錬)というものがありました。
なぜ私たちは苦しいことをしなければいけないのでしょうか。
ここでお伝えしたいチャレンジとは、無謀なことをすることとは少し違います。
私たち人間はストレスがなければ成長しないようにできています。筋肉と同じように、私たちはある程度負荷をかけることで、確かに成長するのです。
私はアンダーザライトヨガスクールに通っていたころ、ヨガのポーズでチャレンジをする、ということに疑問を持っていました。
なぜなら、私は「健康のためにヨガを伝えよう」と思ってヨガを学んでいたため、怪我をしては元も子もないのではないか、という考えだったからです。
しかし、難易度の高いヨガのポーズが苦手であったこともまた事実でした。
それが、ある先生の「チャレンジしない理由がないなら、やりなさい」という言葉で、最初は嫌々であった頭で倒立するポーズ(シルシャアーサナ)にチャレンジしていくことになりました。
初めはやはり、できませんでした。
しかし、チャレンジを続けていくうちに、段々とできるようになり、いつの間にか数分であれば倒立の状態をキープできるようになっていたのです。
これは自分でも驚きでした。
それと同時に、自分の中の何かが変わったことも感じていました。
私はそれまでの人生において、何かできないことがあると言い訳をして逃げてきていました。
中学生の頃、ちょっとしたいざこざから肩を脱臼し、適切に固定しないまま脱臼を繰りかえし、気がつくと習慣性脱臼になっていました。
当時は部活動でサッカーをしていたのですが、ひどい時はシュートを打つだけで肩が外れてしまうのです。
それがとにかく怖くて、サッカーに打ち込む時間を、他の遊びにシフトして逃げていったのです。
今思い返せば、ここから私の逃げの人生はずっと続いていたのです。
「怪我をしては意味がないからチャレンジしない」というのも、自分が怪我をすることも怖いし、そうやって言い訳をする癖がついてしまっていたのです。
ヨガの難しいポーズにチャレンジすることで、改めて自分と向き合うことができました。
それからは、自分の弱いところにちゃんと目を向けるようになり、無謀なことでなければ、失敗してもいいからやってみるというスタンスを手に入れることができたのです。
チャレンジがポジティブを生み出す
ある大手化粧品会社にお勤めのSさんは、ある時急遽、その会社で主要店舗となる百貨店の店長に任命されました。当時の彼女はプレッシャーを感じ、逃げ出したい一心だったといいます。
店長就任後は、想像以上に大変な日々が始まりました。
顧客から商品のクレームを受け、ご自宅へ謝罪に行くことも少なくなかったといいます。
スタッフの教育はもちろん、売上目標を達成する為に、自ら積極的に販売促進に勤しむ毎日。
ヒールの高い靴を履いて中腰でメイクをしながら、腰の痛みとも闘っていました。
しかし、そんな彼女もいつからか、その言動がポジティブなものに変わっていったのです。
数年後、彼女は、店舗のスタッフはもちろん、本社からも信頼される立派な店長になっていました。
ご主人の転勤で退職されることになりましたが、最後まで職務を全うし、職場の方々から惜しまれ、有終の美を飾りました。
彼女は今、念願であった新しい命をそのお腹に宿しています。
毎日を平穏に暮らすことは幸せなことです。
しかし、変わりない毎日の中でも、デキる人たちは、小さなことでも目標を立て、チャレンジを積み重ねています。
今日が100なら明日は101になるように、毎日コツコツ積み重ねることで、1年後には今の何倍にも成長しているのです。
まさに、チャレンジは自分を律し、他人と競うのではなく、自分自身にフォーカスしていくことといえるでしょう。
毎朝のヨガのプラクティスでも、これは実践できます。
自分のコンディションを感じながら、いけそうな時は少しチャレンジして、ポーズに負荷をかける。
普段のシークエンス(順序)にはない難しいポーズを取り入れてみる。
それだけで、毎日を充実したものにできるのです。
『デキる人は、ヨガしてる。 (Business Life)』 (クロスメディア・パブリッシング) |