「デキる人は、ヨガしてる。」(著:石垣英俊、及川彩)より
道徳的な日常生活の「実修」に専念する「カルマ・ヨーガ」は、ポーズや呼吸法、瞑想をしなくても行うことができる生き方のヨガといえます。
デキる人たちと接していると、こういった経典に基づくヨガの哲学を学んだかのように、実に毎日を自然体で過ごしているように見えます。
ここでは、ヨガ哲学が教えてくれる智慧と、「デキる人」たちの思考や習慣を、私たちなりの視点でヨガ的な習慣としてまとめました。
手放す
モノも情報も溢れ、何を選べばいいか悩まされることも増えました。この10年で、なんと情報の量は約530倍にも増えているといいます。
必要なものを選ぶのには、意志力や判断力といったエネルギーが必要となることは前述した通りです。
仕事でもプライベートでも、手に入れたものに対しては愛着や慣れが生じ、そこには執着の心も生まれます。
時には、もう十分持っているのに、さらに手に入れようとしてしまうことさえあります。
『ヨーガ・スートラ』の八支則のニヤマ「足るを知る(サントーシャ)」に通ずるところがあります。
こちらの準備が整うと、入ってくるものがあります。
欲しくてたまらない時は中々手に入れられないものも、一旦そういう思いを手放してしまうと、向こうから入ってくることがあります。
とはいえ、何もかも手放せば良いというわけではありません。
例えば部下が突然辞職したいと申し出てきた時、あなたが上司の立場だとしたら、どのように対応するでしょうか。
本当に大切な部下であれば、辞職する理由をちゃんと聞いた上で、引き留めることが必要なケースもあるでしょう。
しかし、相手の決意が固い場合、無理に引き留めても良いことはありません。
会社の今後の事や自分の立場を優先して、辞めさせないことばかり考えるのではなく、部下のことを考え、気持ちを尊重したうえで、応援するつもりで手放してあげれば良いのです。
「去る者は追わず来る者は拒まず」
この言葉は示唆に富んでいます。
人の行き来だけに限ったことではなく、富、名誉、物質、情報など、今あるモノゴトに執着し手放せなくなると、そこには不安や不満といったネガティブな感情や思考の滞りが表れます。
常に流動的であるこの世の全てを受け入れるニュートラルなスタンスが大切なのです。
一度自分がどれだけ多くのモノを持っているかを再確認してみるのもいいでしょう。
例えば、軽い断食をしてみるなどです。
本当の空腹感を感じると、質素な食べ物でもそれを味わいながら食した時、自分が生きていることを改めて実感するはずです。
同時に、食事を美味しくいただける体があることも、そう感じられる心があることにも感謝できることでしょう。
その時、自分にとって「何か足りない」という足枷がはずれて、本当の意味で自由になるのです。
『ヨーガ・スートラ』の一文をここでご紹介します。
ヴィータラーガ・ヴィシャヤン ヴァー チッタン
こだわりを手放し、欲望の対象から自由になることでもまた、静かな心でいることができます。
手放すことは自由になることです。
手放すことは、静かで平穏な精神を取り戻すことに繋がるのです。
『デキる人は、ヨガしてる。 (Business Life)』 (クロスメディア・パブリッシング) |