相手のためを思ってやっているのに、ちっとも結果がでない。
それどころか、ますます思わしくない方向へ進んでしまった。
こんなことはありませんか?
ここでちょっと立ち止まってみましょう。
相手のためと言いながら、いつの間にか「自分」のためになってしまってはいませんか?
子供のためを思って言ってるのに・・・
子どもに、将来のためにもちゃんと勉強して欲しいと思うのは、すべての親に共通することではないでしょうか?
けれども、「勉強しなさい!」と言われて、喜んで勉強する子どもは、まずいません 。
自分が子供だったころのことを思い出してみればわかりますね。
そして、親の思いとは裏腹に、子どもたちはゲームやSNSに夢中になり、多くの時間を勉強以外に費やすということが現実です。
では、なぜ子どもにちゃんと勉強して欲しいと思うのでしょうか?
「いい高校や大学に入れるから」
「将来の選択肢が広がるから」
「自分に自信を持てる人間になれるから」
あるいは、こんな思いもあるかもしれません。
「自分が学歴で苦労したから」
「白分がちゃんと勉強しなかったことを後悔しているから」
「子どもの出来が悪いと、親として恥ずかしいから」
実に様々な思いが混ざっているのではないでしょうか?
ここで考えていただきたいのは、もし、その子がちゃんと勉強しなかったら、どんな問題が発生するのか?ということです。
「レベルの低い高校や大学にしか行けない」
「将来、満足のいく給料を得る可能性が低くなる」
「人生を楽しめない」
「人にバカにされる」
「親として恥ずかしい」
大切なことは、「それは誰の問題か?」ということを考えてみることです。
それは、本当にその子にとっての問題でしょうか?
それとも、親自身の問題なのでしょうか?
ほんとうは、自分のため?
様々な思いがある中で、「自分の優秀性を示したい」というような、親自身の問題のために「子どもを勉強する子に変えたい」という思いが強い場合が出てきます。
子どもが親の思いを満たすための、肩代わりの道具と化してしまうのです。
ひどいときには、子どもが親のリベンジの道具と化してしまうことさえもあります。
「私が入れなかった○○大学に、是が非でも自分の子どもを合格させたい」という思いから、勉強を強要してしまうような場合です。
アドラー心理学的に言うと、「人を人として見る」ではなく、「人をモノ(道具)として見る」という状態です。
これらは、教育が「子どものため」よりも「親自身のため」になっている状態であり、「子どもの気持ち不在の教育」でもあります。
こういう意図でのコミュニケーションでは、子どもは、親からの教育についてのアプローチに対して、固くブロックをかけてしまいます。
子どもの潜在意識が、親のアプローチに安心・安全を感じないのです。表面意識ではそういう親の意図を感じていない場合でも、潜在意識はしっかりとその意図を読み取ります。
これでは、自分から勉強するような状態にはなりにくく、仮に受験のときや親の監視下では仕方なく勉強しても、それ以外ではしないという状態になります。
コーチングとコントロールの間で
あなたが、親の立場、教師という立場、指導者やキャプテンの立場、上司の立場などにある場合、ぜひ自分に問いかけて欲しいのは、「これは誰の問題か?」ということです。
スポーツチームや仕事のチームの場合は、目の前の相手とチームのためなのか、それともあなた自身のためなのか、ということです。
そして、その人を「人として見ているのか?」、自分の目的や欲求を満たすための「モノ(道具)として見ているのか?」ということです。
モノとして見ている場合に大事なことは、「モノとして見ている」ということに気付くことです。
そして、モノとして見ていた自分にダメ出しをせず、気付いた自分を承認してみてください。
承認したら、「相手にとって大切なことは何か?」を考えながら、相手への承認と傾聴をもって、「どうしたらいいと思う?」というような目的論の質問をしてあげるのです。
そして、良いタイミングで、「本当はどうしたい?」と聴いてみるのです。
相手が自ら動き出すアプローチとは?
ここで、父親と小学生のやり取りを見てみましょう。
毎朝、一緒にジョギングをすることにした父子の事例です。
これが習慣になるまでは、子どもが嫌がる日も出てきますが、ここで大事なのは、無理やり走らせる前に、「毎朝走ることのメリット」を考えてみることです。会話はこんな感じになります。
父「何で今日走るのが嫌なの?」
子「寒いから」
父「運動については、どうなりたいのかな?」
子「水泳が上手くなりたい」
父「水泳が上手くなるには、どんなことが大事?」
子「キックが強くなること」
父「毎日ちゃんと走ることは、それにとってかなり重要だと思うけどどう?」
子「でも、今日1日ぐらいはいい」
父「パパは構わないよ。
パパは、毎日走ることが自分の健康に大事だと思っているから、今日も走る」
子「・・・」
私「お前には水泳が上手くなって欲しいと思う。でも、上手くなるかどうかはお前次第だから、自分で決めたらいい」
大事なことは、「自分で判断してもらう」ことです。
こういう決定を相手にしてもらうアプローチを根気よく繰り返していると、子どもの自主性というものが徐々に芽生えてきます。
そして、内発的モチベーションが湧きあがってくると、しっかり習慣化していきます。
ここで大切なのは、「お前は本来、水泳も上手くなれる存在」という承認です。
また、こういうアプローチをしても、走らない日はあります。
もし 走らなくても、「それは息子の問題」として、キッパリと自分の問題と分離させます。
ただ、「本当にやりたいことについては、全力で応援するよ」という勇気付けの姿勢を持ち続けることで、子ともの心は動いていくのです。
天才育成法に学ぶ、コーチングの秘訣
天才が育つ秘密についてのある研究があります。
天才ビアニスト、天才スケーター、天才棋士など、「天才が育つ環境とはどんな環境か?」についての研究です。
研究結果として浮かび上がったことは、子どもの頃、最初に習った先生に共通点があるということです。
その共通点とは、プレイヤーとして凄い実績のある先生であるということでもなく、指導者としてカリスマのような先生であるということでもありませんでした。
それは、「楽しくやることを教えてくれた先生であること」だそうです。
ビアノあれば、『ビアノ=楽しい=快』 という方程式を、習い始めの段階で、しっかりとインプットしてくれること。このインプットが最初にあれば、それは一生の土台として定着します。
元々才能溢れる子どもがこの方程式を身に付けると、『練習=快』となり、放っておいても練習するようになります。このことにより、圧倒的な線習量を自然にこなすようになります。
反対に、いくら才能があっても、最初にスパルタ式の指導を受け、「ピアノ=つらい=苦」という方程式が出来上がってしまうと、「練習=苦」となり、頑張って、我慢してビアノを続けることになります。それが重なり、やがてバーンアウトという状態を起こしてしまうのです。
反対に、最初に「ピアノ=楽しい=快」の方程式が定着した子どもは、思春期などにスパルタ式の猛練習の環境に入っても、燃え尽きることなく成長していきます。
なぜなら、「ピアノ=楽しい=快」が基本にあり、そのスパルタ式を「自分のレベルを次のステージに持っていくことに必要」だと、自然に受け取ることができるからです。
相手と一緒に、「勉強=快」、「練習=快」をどう作っていくかの工夫を話し合ってみるのも良いでしょう。
例えば、子どもの頃に「勉強=快」の方程式が染み付いた人間は、勉強が一生の習慣になっていきます。スポーツや楽器などの練習も同様に、「練習=快」になった人は、暇さえあれは練習するようになります。
よく言う「練習の虫」というタイプの人は、練習が快で、楽しくて仕方がないのです。
こうなれば、勉強にせよ、運動や音楽や仕事のスキルにせよ、自然とレベルアップしていくことになります。
人を育てる前にしておくべき重要なこと
誰かに言われてではなく、自らが進んで行動できる人間は、どんどん成長していきます。
その段階にたどり着けるよう導くのがコーチングです。
相手の「可能性」を信じ、「成長」していく姿を描けてこそ、ほんとうに相手のための働きかけができるようになるのです。
”コーチングがコントロールにすり替わっていないか?”を自戒すること。ここを外してしまっては、コーチングは始まりません。
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