「歳を取ると記憶力が落ちる」という言説の一方で、前編で見た限りでは記憶力は落ちてしまう部分があるものの経験によって補える範囲であることがわかりました。
しかし、実際の記憶力の変化よりも大きく、人の感覚として「記憶力が下がった」と感じさせてしまっていることがあるのです。
そのひとつが、時間感覚のちがいです。
時間感覚の変化
子どものころ、学校で学習するときは１カ月でひとつの範囲、翌月にはまた次の範囲……と、１カ月や２カ月、長くても１学期で区切りを迎えていました。
しかし、大人になるほどひとつのことに時間をかけて取り組むことが増えます。仕事だとひとつのプロジェクトに数カ月や１年といった期間をかけて取り組むこともあるでしょう。
学校に通っていたころと比べて、ひとつのことに取り組む時間が長くなることで、記憶を保持しておかないといけない時間も増えます。
このように自分自身の時間の感覚が変化し、同じ時間であっても捉え方が変わったために、「ちょっと前のことなのに思い出せない」と思ってしまうのです。
加えて、学習に使える時間が減少していることも影響します。
社会人になる前は、1日の大半を学習に使え、新しいことを記憶するための時間も豊富にあったかもしれません。
しかし、社会人になると、仕事や家事、育児など、やらなければならないことが増えます。新しいことを覚えたり、記憶のメンテナンスをしたりする時間が減るのです。
それが記憶力が落ちたと感じる原因になっている可能性もあります。
扱う情報の変化
もうひとつの観点としてあげられるのが、扱う情報の変化です。触れる情報の量が純粋に子どものころよりも増えているのです。
学生時代であれば、クラス替えの直後にはクラスメートの顔と名前を覚えられなくても、毎日毎日顔を合わせるので、だんだんと覚えていけばよかったはずです。
しかし、仕事上で会う人とは、次に会うまでに１週間、２週間とあいだが空くことも普通です。その人がどういう人だったか思い出すことが少なくなれば、当然記憶として定着するのも難しくなります。
さらに、関わる人数も増えます。学生時代は同じクラスの人や部活動のメンバーなど、基本的には同じ人と継続的に長い時間を過ごします。仕事では、年に数回しか会わない人でも、その人の顔と名前を覚えることが求められます。
覚えることにかけられる時間が短いうえに、覚えるべき事柄が増えることで、「記憶力が落ちた」と感じることが増えてしまうのです。
扱う情報が体系化されていないことも、覚えることを難しく感じさせています。
学校では学ぶ内容が体系化されており、新しいことを学んでいく道が整備されています。
一方、大人になってから何かを習得する場合は状況がちがいます。多くの場合は情報が体系化されておらず、自分自身で「こんな感じかな」と大まかに噛み砕きながら進めることになります。
そのため「あまり習得できていない」「なかなか身につけられない」と感じ、次第に学習性無力感に陥ることも少なくないのです。
思い込みによる影響
加齢による記憶力の低下は、実は思い込みの要素もあるという実験結果を紹介しましょう。
単語リストを記憶する実験で、記憶の前に被検者に「加齢によって記憶力が低下するので、その効果を確認する」と説明したグループと、「言語処理能力について確認する」とだけ伝えたグループをつくり、単語リストを覚えてもらい、どの単語がリストにあったかを当てるという同じタスクをおこないます。
リストになかった単語を「なかった」と正しく判定をした正答率を比べてみたところ、１つ目のグループの高齢者は30％だったのに対して、２つ目のグループの高齢者は50％が正しく判定していました。
若年層はどちらのグループも変わらず50％という正答率だったので、「言語処理能力のテスト」と言われたほうの高齢者は若者と変わらないパフォーマンスを出したことになります。
本来は年齢によって差がない結果のはずなのに、「加齢に伴って記憶力が低下する」と説明された高齢者は、20％もパフォーマンスが低下してしまったわけです。
この実験結果に限らず、人間はさまざまな思い込みやバイアス（偏見）によって、パフォーマンスが大きく変わってしまうことがあります。
たしかに、加齢で低下する力もないとは言い切れませんが、加齢によるアドバンテージを十分活かすことができます。
余計な思い込みによって本当の能力を発揮できないのは残念です。思い込みは避けて、本来の自分の力を十分に発揮したいものです。
『記憶はスキル』（著：畔柳圭佑／くろやなぎ・けいすけ）より
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