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前回の記事では、バンティングがいかにダイエットを忠実に行っていたにも関わらず、痩せることができなかったことをお伝えしました。

どれも失敗に終わったバンティングは、ついに最終手段に出ることになります。

 

ダイエットで満身創痍…しかし

 

「よし…あきらめましょう

バンティングは、64歳にしてそう決断します。

20年以上にわたる肥満との戦いで、バンティングの体は満身創痍でもありました。

衰える視力、痛む膝、たるんだお腹。さらには、耳まで聞こえにくくなっていました。

ところが、かかりつけのお医者さんに診てもらっても、「あー、大したことないですね。とりあえず耳は掃除しておくんで、あとは様子をみましょう」と簡単に追い返されてしまいました。

「大したことある気がしますが…。でも、お医者さんが言うなら、そうなのか…」

と、しぶしぶ帰路についたバンティング。

その後、経過観察のため、再度その医者を訪れると、「旅行のため、休診」と書かれた札がドアに貼ってありました。

「せっかく足を運んだのに・・・」

きっと私ならそう言ってがっかりするところですが、人のいいバンティングは、

「ラッキー!これで別のお医者さんにかかれる♪」

と、ウキウキしたといいます。

一度診てもらった以上、勝手に他の医者に診てもらうのは申し訳ないと、義理堅いバンティングは考えていたのです。

そして、1862年の夏、運命の歯車がついに動き出します。

 

運命の出会いからダイエット成功! そして出版へ

 

新たにバンティングの診察を行ったのは、英国外科医師会で名をはせた、ハーベイ医師でした。

「あなたの体の不調は、すべて肥満から来ています」と診断すると、「以後、すべての食事から、炭水化物を抜いてください」とアドバイスを行いました。

言われたことは、度を越して忠実に実行するバンティング。

すると、わずか4か月で20キロもの減量に成功しました。

さらにそれ以後、亡くなるまでの16年間に渡り、炭水化物を抜く食事療法により体重をキープし続けました。

こうしてハーベイ医師のダイエット法により減量に成功し、感銘を受けたバンティングは、肥満で苦しむ人を助けるため、自身の経験を広く世に広めようと決意します。

しかし、名だたる出版社からことごとく断られ、仕方なく自費で本を出版することになりました。

彼は初版と第2版の合計2,500冊を刷り、興味を持ってくれた人々に無料配布しました。

すると、本の人気は口コミで瞬く間に広がり、徐々に版を重ね、ついにはダイエット本として世界最初の大ベストセラーになりました。

のちにバンティングは、この時の事をこう振り返っています。

「ダイエット本で儲けようなんてつもりは、一切ありませんでした」

あくなき努力と素直さが、理想の体型と富までも生み出したのです。
一方、ダイエット本の成功とは裏腹に、とんでもない窮地に陥ったのが、ハーベイ医師です。

バンティング式ダイエット法の考案者にも関わらず、評判が高まれば高まるほど、同業者から激しい批判を受け、とうとう診療ができなくなるまで追いつめられてしまいました。

なぜハーベイ医師は、栄光ではなく、苦渋の人生を歩むことになったのでしょうか? 気になる詳細は次回。